俺は俺のマズイ飯を喰う、
どうしたって声はデカイ方がいい。
でも小さい声を聞こうとしてしまう。性なのか。昔からマイノリティの声だけに敏感だ。
マイノリティはアンチではない。
たくさんの人がそうだと言う事をそうではないと言う事はマイノリティではない。と思う。
今日近所の公園で名前も知らない花が咲いていて綺麗だったとか、都会のネオンに負けないくらいの瞬く星があったとか、今日ふと触れたギターの音色が優しかったんだとか、そう言う事だと自分は思ってしまう。
誰かが誰かをもしくは何かを支えている事に規模が必要なのだとしたら間違いなく自分の性分はこの社会に必要ではない。
だからと言って、今日食った米のひとつぶひとつぶを数えるような気分で噛みしめる飯の旨さを誰が否定するのだろう。
幸せは人それぞれだと言う。
声の大きい界隈も眺めながら、ゆっくり食う飯は、それはそれで美味いんですよ。っていいながら俺は死にたい。