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あんまりそういうのアレなんだ。

常識という言葉を前衛に出てくるような話し方にもし、いつか自分がなってしまったら、俺の人間の部分は終わったなと思うだろう。
この概念は生活を豊かにするためのルールであり、みんながそうであればあたかも何もかもがスムーズに流れていくものだ、と思っているんだろう。いや実際そうだったことがあるんだろう。もしくはそうでもしなきゃやってやれない時期があったんだろう。時としてやっぱり必要な部分は絶対あるんだろう。
でも少なくとも今。自分のまわりでこの言葉をたくさん使ってくる人はこの言葉を盾に、この言葉を剣にして、目くじらを立てて向かってくる。

普通で考えればわかること、常識的に。

本当に申し訳ないけれど自分はあなたの持っている「普通」はよくわからないし、その基準も多分みんなあいまいだと思う。
大多数の人が〇と言っていることだから少数の×が黙って〇になりなさいよ、というお話に聞こえる。
なんで×がいるんだろう…とは思わないんだろうか。
別に非常識を肯定も推奨もしたくはないんだけど、常識ではないことが全部非常識だとは、ちょっと思えないんだよなぁ。

常識という感覚にみんなすがりたくなるんだろうか。
何も考えなくて済むかもしれない。
自分の言葉で言わないで済むかもしれない。

でも、なるべく自分はそのことについて悩んでいたい側だ。
故に。どんな人からでもその人が持っている定規で自分を測られている、と感じると頭がゾワゾワとかゆくなる。大概その定規のマスは自分には小さく見える。

当たり前や当然なんてのは本当は自分が自分に言うことなんじゃないのかしら。

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